富を築く方法
<開始日:2025年1月12日(日)>
<配信日:2026年8月9日(日)>
富を築く方法
著者:ポール・グレアム
https://paulgraham.com/wealth.html
日本語訳:金 東煜
<表記について>
1. 原文をしっかり理解するために、英語の勉強がてら気になる英単語には()として日本語の意味を追記しました。
2. 英語の熟語には下線を引き、青色で表記しました。
3. 重要だと感じた文書は太字で強調しております。特に重要だと思っている文書(考え方)には、赤の太字で協調しております。
Source:https://paulgraham.com/wealth.html
富を築く方法
2004年5月
(本エッセイはもともと『Hackers
& Painters』に掲載されたものです。)
もし富を得たいとお考えであれば、どのようにされるでしょうか。私の考えでは、最も有力な方法はスタートアップを立ち上げるか、あるいはそれに参加することです。これは何百年にもわたり、有効とされてきた方法です。「スタートアップ」という言葉自体は1960年代に生まれたものですが、その実態は中世におけるベンチャー資金によって支えられた貿易航海と非常によく似ています。
スタートアップは通常テクノロジーと密接に関係しており、「ハイテク・スタートアップ」という表現がほとんど冗長に感じられるほどです。スタートアップとは、難易度の高い技術的課題に取り組む小規模事業者を指します。
実際のところ、この程度の理解だけでも、多くの人が富を築いています。優れた投手になるために物理学を知っている必要がないのと同じです。しかし、根本的な原理を理解することは優位性につながる可能性があると考えます。なぜスタートアップは小規模である必要があるのでしょうか。また、スタートアップは成長するにつれて、必然的にスタートアップではなくなっていくのでしょうか。そして、なぜこれほど多くのスタートアップが新しい技術の開発に取り組むのでしょうか。なぜ新薬やコンピュータソフトウェアを扱うスタートアップは数多く存在する一方で、コーン油や洗濯用洗剤を扱うスタートアップはほとんど存在しないのでしょうか。
提案
経済的な観点から見ると、スタートアップとは、自身の労働人生全体を数年に圧縮する手段と捉えることができます。40年間にわたって低い強度で働く代わりに、4年間で可能な限り全力で働くということです。これは特にテクノロジー分野において高い報酬をもたらします。なぜなら、スピードをもって働くことに対してプレミアムが支払われるためです。
ここで、その経済的な考え方を簡単にご説明いたします。仮に20代半ばの優秀なハッカーであれば、年収約8万ドルの仕事に就くことができます。つまり、そのような人材は、会社にとって少なくとも年間8万ドル分の価値を生み出して、ようやく損益分岐点に達しているはずです。スタートアップにおいては、仮に、企業に勤める社員の2倍の時間働くとすると、それだけでも生産量は増えますし、さらに集中して取り組めば、1時間あたりの成果を3倍にすることも可能でしょう。[1] 加えて、大企業であれば上司となるような、いわゆる非効率な中間管理職による足かせを排除することで、少なくともさらに2倍の効果が見込めます。そしてもう一つの要素があります。それは、自身の能力が職務内容で期待されている水準をどれだけ上回っているか、という点です。ここでは仮に3倍としましょう。これらすべての倍率を掛け合わせると、一般的な企業で期待されている水準と比べて、36倍の生産性を発揮できる可能性がある、ということになります。[2] もし、そこそこ優秀なハッカーが大企業で年間8万ドルの価値を持つとすれば、非常に優秀で、かつ全力で働き、さらに企業特有の無駄な制約に縛られないハッカーであれば、年間およそ300万ドル相当の価値を生み出すことも可能だと言えるでしょう。
このような概算は、いわゆる「ざっくりとした計算」と同様に、かなりの幅を持つものです。実際の数値そのものを厳密に正当化しようとは思っていません。しかし、この計算の構造自体については妥当だと考えています。倍率が正確に36倍であると主張しているわけではありませんが、少なくとも10倍を超えることは確かであり、100に達することはおそらくまれだと思います。
もし年間300万ドルという数字が高く感じられるかもしれませんが、ここで想定しているのは極限的なケースであることを思い出していただければと思います。すなわち、余暇がまったくなく、健康を損なうほど働き続けるような状況を指しています。
スタートアップは魔法ではありません。富の創出に関する法則を変えるものでもありません。それは単に、分布曲線の端に位置する一つの点にすぎません。ここには一種の保存則が働いています。すなわち、100万ドルを稼ぎたいのであれば、100万ドル分の苦労に耐えなければならないということです。例えば、100万ドルを得る一つの方法として、郵便局で一生働き、給与を一円も使わずに貯蓄するというやり方があります。50年間郵便局で働き続けることのストレスを想像してみてください。スタートアップでは、このようなストレスを3年から4年に圧縮することになります。もちろん、大量にまとめて苦労を引き受けることで、いわば多少の「ボリュームディスカウント」は得られる傾向にありますが、この根本的な保存則から逃れることはできません。もしスタートアップの立ち上げが簡単であれば、誰もがそれを行っているはずです。
何十億ではなく、数百万
年間300万ドルという数字が高く感じられる方もいれば、逆に低く感じられる方もいらっしゃるかもしれません。300万ドルですか。それでは、ビル・ゲイツ(Bill Gates)のように億万長者になるには、どうすればよいのでしょうか。
それでは、まずビル・ゲイツのような例は脇に置いて考えましょう。著名な大富豪を例として用いるのは、あまり良い考えではありません。なぜなら、メディアはごく一部の「最も裕福な人々」ばかりを取り上げる傾向があり、そのような人たちはたいてい例外的な存在だからです。ビル・ゲイツは、知性があり、強い意志を持ち、非常に勤勉な人物です。しかし、彼ほどの富を築くためには、それだけでは足りません。非常に大きな幸運も必要になります。
どの企業の成功にも、大きな偶然の要素が存在します。そのため、私たちが新聞などで目にする人物というのは、非常に優秀で、完全に献身的であり、なおかつ“宝くじに当たった”ような、運にも恵まれた人たちなのです。確かにビル・ゲイツは優秀で献身的な人物ですが、同時に、マイクロソフト(Microsoft)はビジネス史上でも特に大きな失策の一つから大きな恩恵を受けた企業でもありました。それがDOSのライセンス契約です。言うまでもなく、ビル・ゲイツはIBMがその判断ミスを犯すよう、できる限りのことをしたでしょうし、その状況を活用することにも非常に成功しました。しかし、もし当時のIBM側にもう少し先を見通せる人物が一人でも存在していたなら、マイクロソフトの未来はまったく異なるものになっていたはずです。当時のマイクロソフトは、IBMに対してほとんど交渉力を持っていませんでした。実質的には部品供給業者のような立場だったのです。もしIBMが、本来そうすべきであったように独占ライセンスを要求していれば、マイクロソフトはそれでも契約に署名していたはずです。それでも彼らにとっては十分に大きな利益になっていたでしょうし、IBMは他の場所からオペレーティングシステムを調達することも容易にできたはずです。
その代わりに、IBMは市場における自らの圧倒的な力を使って、マイクロソフトにPC標準の支配権を与える結果となりました。その時点以降、マイクロソフトが行うべきことは、ただ着実に実行していくことだけでした。会社の命運を賭けるような大胆な意思決定を迫られることは一度もありませんでした。彼らが行うべきだったのは、ライセンシーに対して強硬な姿勢を取ること、そして、より革新的な製品を比較的素早く模倣していくことでした。
もしIBMがこの失敗を犯していなかったとしても、マイクロソフトは依然として成功した企業にはなっていたでしょう。しかし、これほど短期間で、巨大な企業へ成長することはできなかったはずです。ビル・ゲイツは裕福にはなっていたでしょうが、同年代の富豪たちと並んで、Forbes 400の下位あたりに名前を連ねる程度だったでしょう。
富を得る方法は数多く存在しており、このエッセイで扱っているのはそのうちの一つにすぎません。このエッセイで取り上げるのは、価値を創造し、その対価として報酬を得ることでお金を稼ぐ方法についてです。もちろん、お金を得る方法は他にも数多くあります。例えば、偶然、投機、結婚、相続、窃盗、恐喝、詐欺、独占、汚職、ロビー活動、偽造、鉱脈探しなどです。実際のところ、歴史上の巨大な富の多くは、おそらくこれらの複数を組み合わせることで築かれてきたのでしょう。
価値を創造することで富を築くという方法の利点は、単にそれがより正当であるという点だけではありません(他の多くの方法は現在では違法となっています)。それ以上に、この方法は非常に分かりやすいのです。人々が求めているものを生み出せばよいのです。基本的には、それだけなのです。
お金は富ではない
もし富を創造したいのであれば、まず「富とは何か」を理解することが役に立ちます。富はお金と同じものではありません。[3] 富という概念は、人類の歴史と同じくらい古いものです。実際にはそれ以上に古く、アリでさえ富を持っています。一方で、お金は比較的新しい発明にすぎません。
富こそが本質的なものです。富とは、私たちが欲しいと感じるものそのものを指します。例えば、食べ物、衣服、家、車、ガジェット、興味深い場所への旅行などです。お金を持っていなくても、富を持つことは可能です。もし、命令するだけで車を作ったり、夕食を用意したり、洗濯をしてくれたり、あるいは自分の望むことを何でも叶えてくれる魔法の機械を持っていたなら、もはやお金は必要ありません。一方で、もし何も買うものが存在しない南極のど真ん中にいたとしたら、どれほど多くのお金を持っていたとしても意味はないでしょう。
富とは、お金ではなく、あなたが本当に欲しいものそのものです。ところが、もし富こそが本質的に重要なのであれば、なぜ誰もが「お金を稼ぐ」という言い方をするのでしょうか。それは一種の略語のようなものです。お金とは、富を移動させるための手段であり、実際には両者はしばしば同じものとして扱われます。しかし、本来それらは同じものではありません。そして、もし偽造によって金持ちになるつもりでない限り、「お金を稼ぐ」という発想は、かえって「どのようにお金を稼ぐのか」を理解しにくくしてしまうことがあります。
お金とは、分業化の副産物です。分業化された社会においては、自分が必要とするものの大半を、自分一人で作ることはできません。ジャガイモ一つ、鉛筆一本、あるいは住む場所を手に入れるにしても、それらは誰か他の人から手に入れなければならないのです。
では、ジャガイモを育てている人から、それを分けてもらうにはどうすればよいのでしょうか。相手が欲しいものを、代わりに提供すればよいのです。しかし、必要としている相手と直接物々交換をしているだけでは、社会はそれほど大きく発展しません。たとえば、あなたがバイオリンを作っていたとして、近所の農家の誰もそれを欲しがらなかった場合、あなたはどのように食べていくのでしょうか。
社会がより高度に分業化されるにつれて人々が見つけ出した解決策は、取引を二段階に分けることでした。つまり、バイオリンを直接ジャガイモと交換するのではなく、まずバイオリンを、たとえば銀と交換し、その銀を使って今度は自分が必要とする別のものと交換するのです。この中間的なもの「すなわち交換手段」となるものは、希少で持ち運び可能なものであれば何でも構いません。歴史的には金属が最も一般的でしたが、近年では、物理的な実体を持たない「ドル」と呼ばれる交換手段を私たちは利用しています。それでもドルが交換手段として機能しているのは、その希少性がアメリカ政府によって保証されているからです。
交換手段の利点は、取引を成立させやすくする点にあります。一方で、その欠点は、「取引の本質とは何か」を見えにくくしてしまうことです。多くの人は、ビジネスとは「お金を稼ぐもの」だと考えています。しかし、お金とはあくまで中間段階にすぎません。つまり、人々が本当に求めているものをやり取りするための略記表現のようなものです。実際には、多くのビジネスが本当に行っていることは富の創造です。すなわち、人々が求めるものを生み出しているのです。[4]
パイの誤謬
驚くほど多くの人々が、「世界に存在する富の総量は最初から決まっている」という考えを、子どもの頃からそのまま持ち続けています。確かに、一般的な家庭においては、ある時点で存在するお金の量には限りがあります。しかし、それとこれとは別の話です。
この文脈で富について語られる際には、しばしば「パイ」にたとえられます。「パイを大きくすることはできない」と政治家たちは言います。確かに、一つの家庭の銀行口座に入っているお金の総額や、政府が1年間の税収として使える金額について話しているのであれば、それは正しいと言えます。誰か一人がより多くを得れば、その分、誰か別の人はより少なく受け取らなければならないからです。
私自身、子どもの頃、「一部の金持ちがすべてのお金を持ってしまえば、その分、他の人たちに残るお金は少なくなる」と信じていた記憶があります。そして、多くの人が大人になってからも、似たような考え方を持ち続けているように見えます。「人口のx%が富のy%を保有している」といった話を耳にするとき、その背後にはたいていこの誤った考え方が潜んでいます。もしあなたがスタートアップを始めようとしているのであれば、自覚しているかどうかにかかわらず、あなたは「パイの誤謬」を覆そうとしていることになります。
ここで人々を誤った方向へ導いてしまう原因は、「お金」という抽象的な存在にあります。お金は富そのものではありません。それは単に、富をやり取りするために私たちが使っている手段にすぎません。したがって、ある特定の時点、例えば「今月のあなたの家庭」のような状況においては、他人と欲しいものを交換するために使えるお金の量には限りがあるかもしれません。しかし、世界全体の富の量が固定されているわけではありません。富は新たに生み出すことができます。富は、人類の歴史を通じて、絶えず創造され、また失われ続けてきました(ただし全体として見れば、創造され続けてきたのです)。
例えば、あなたが古くてボロボロの車を持っているとします。来年の夏をただ何もせず過ごす代わりに、その時間を使って車を新品同様の状態にまで修復したとしましょう。そうすることによって、あなたは富を生み出したことになります。世界には、そして具体的にはあなた自身の周りには、「完璧な状態に修復されたクラシックカー」が一台増えたことになるのです。そして、それは単なる比喩的な話ではありません。もしその車を売れば、以前より高い価格で売ることができるでしょう。
古い車を修復することで、あなた自身はより豊かになりました。しかし、そのことで誰か他の人が貧しくなったわけではありません。したがって、「富の総量は固定されている」という考え方が誤りであることは明らかです。そして実際、このように考えてみると、なぜ人々がそのような考えを信じるのか、不思議に思えてきます。[5]
子どもたちは、自分では意識していなくても、「富を創造できる」ということを本能的に理解しています。誰かにプレゼントを渡したいのにお金がない場合、子どもたちは自分で何かを作ります。しかし、子どもたちは物を作るのがあまり上手ではないため、手作りのプレゼントを、市販品とは別種の「劣ったもの」と考えがちです。つまり、「大切なのは気持ちだ」という、よくある言葉を表現するためだけの手段のように捉えているのです。そして実際、私たちが親のために作った、いびつな灰皿には、ほとんど中古市場価値はありませんでした。
職人たち
富は創造できるものであるということを最も理解しやすいのは、「ものづくり」が得意な人々、すなわち職人たちです。彼らが手作業で作り出したものは、そのまま商品として販売されるものになるからです。しかし、産業化が進むにつれて、職人の数はますます減少してきました。その中で、現在もなお大きな職人的集団として残っている代表例の一つが、コンピュータ・プログラマーたちです。
プログラマーは、コンピュータの前に座るだけで富を創造することができます。優れたソフトウェアは、それ自体が価値ある存在だからです。そこには話を複雑にするような製造工程が存在しないため、本質が分かりにくくなることもありません。あなたが入力した文字列そのものが、完全な完成品なのです。もし誰かが、本当に使いやすいウェブブラウザを書き上げたとしたら(ちなみに、これはかなり良いアイデアですが)、その分だけ世界はより豊かになるでしょう。[5b]
企業では、すべての社員が協力しながら富を創造しています。つまり、人々が欲しいと思うものを、より多く作り出しているのです。ただし、多くの社員「たとえば郵便室の担当者や人事部門で働いている社員など」は、実際の「ものづくり」から一段離れた場所で働いています。しかし、プログラマーは違います。彼らは一行一行コードを書きながら、文字どおり製品そのものを思考しながら作り上げています。そのためプログラマーたちにとっては、富とは、どこかの想像上の“父親”的存在によってパイのように切り分けて分配されるものではなく、自ら作り出されるものである、ということをより明確に理解しているのです。
また、プログラマーにとっては、また、富が創造される速度には非常に大きな差があることも明らかです。Viawebで働いていた頃、生産性という点でまさに桁外れに高い、まるで怪物のようなプログラマーが一人いました。ある日、私は彼が一日中どのような仕事をしているかを見ていたのですが、その一日だけで彼一人で会社の市場価値を数十万ドル分押し上げたのではないかと考えたことを覚えています。優秀なプログラマーであれば、絶好調の状態では、わずか数週間で100万ドル相当の富を生み出すことも可能です。一方で、平凡なプログラマーは同じ期間にほとんど価値を生み出せないどころか、バグを作り込むことでマイナスの価値を生み出してしまうことさえあります。
これが、優秀なプログラマーの多くがリバタリアン(自由至上主義者)である理由です。私たちの世界では、成功するか失敗するかは自分次第であり、言い訳は通用しません。富の創造から遠い立場にいる人々「例えば大学生、記者、政治家など」は、「最も裕福な5%の人々が全体の富の半分を所有している」と聞くと、「不公平だ」と考える傾向があります。しかし、経験豊富なプログラマーであれば、むしろ「たったそれだけですか?」と思うかもしれません。なぜなら、上位5%のプログラマーが、おそらく、世の中の優れたソフトウェアの99%を書いているからです。
富は、必ずしも販売されなくても創造することができます。少なくとも最近までは、科学者たちは自らが創造した富を事実上社会へ無償で提供していました。例えば、私たちは、ペニシリンについて知っているおかげで、感染症によって命を落とす可能性が低くなっています。その意味で、私たちがその恩恵を受けているという意味で、誰もがより豊かになっています。富とは、人々が望むものそのものであり、「死なずに生きること」は間違いなく私たちが望むものだからです。また、ハッカーたちは、誰でも無料で利用できるオープンソースソフトウェアを書くことで、自らの成果を社会へ提供することがよくあります。私自身、現在この文章を書いているコンピュータで動作しているオペレーティングシステムであるFreeBSDのおかげで、より豊かになっています。そして、すべてのサーバーでFreeBSDを利用しているヤフー(Yahoo)も同様です。
仕事とは何か
先進国では、人々は少なくとも20代になる頃までは、何らかの組織に所属して生活しています。長年そのような環境にいると、毎朝起きて、決められた建物へ行き、そして普段はそれほど楽しんでいるわけでもないことを行う人々の集団に属することが、ごく当たり前のものとして感じられるようになります。そして、そのような集団への所属は、自分自身のアイデンティティの一部になります。名前、年齢、役割、所属機関、それらが自分を表す要素になるのです。例えば、自分自身を紹介するときや、誰かがあなたを紹介するときも、「ジョン・スミス(John Smith)、10歳、○○小学校の生徒です。」あるいは、「ジョン・スミス(John Smith)、20歳、○○大学の学生です。」といった形になるでしょう。
ジョン・スミスは学校を卒業すると、次は就職することを期待されます。そして、就職するということは、結局のところ、別の組織へ所属することを意味しているように見えます。表面的には、それは大学生活とよく似ています。まず、自分が働きたい企業を選び、その企業への入社を申し込みます。そして、その企業側に気に入られれば、その新しい集団の一員になります。毎朝起きて、新しい建物へ通い、普段はそれほど楽しんでいるわけでもない仕事を行います。もちろん、いくつか違いはあります。人生は以前ほど楽しくなくなりますし、大学時代のようにお金を払う側ではなく、給料を受け取る側になります。しかし、多くの人にとっては、その違いよりも共通点の方が大きく感じられます。ジョン・スミスは今や、「ジョン・スミス、22歳、○○株式会社のソフトウェア開発者です。」という存在になるのです。
実際には、ジョン・スミスの人生は、本人が思っている以上に大きく変化しています。社会的な見た目だけで言えば、企業は大学とよく似ています。しかし、その背後にある本質的な仕組みを深く見ていくほど、両者はまったく異なるものであることが分かってきます。
企業が行っていること、そして存続し続けるために必ず行わなければならないことは、お金を稼ぐことです。そして、多くの企業がお金を稼ぐ方法は、価値(富)を創造することです。企業は非常に高度に専門化されているため、この関係が見えにくくなっていることがあります。しかし、富を創造するのは製造業だけではありません。富を構成する重要な要素の一つに「場所」があります。以前お話しした、車を作ったり夕食を用意したりできる魔法の機械を思い出してください。もしその機械が、あなたの夕食を中央アジアのどこか無関係な場所へ届けてしまったとしたら、それほど役に立たないでしょう。富とは「人々が欲しいもの」であるならば、物を運ぶ企業もまた富を創造していることになります。同じことは、物理的な製品を作らない多くの企業にも当てはまります。ほとんどすべての企業は、人々が望む何かを実現するために存在しているのです。
そして、企業で働くとき、あなた自身も同じことを行っています。しかし、ここには本質を見えにくくするもう一つの要素があります。企業の中では、あなたの仕事は多くの他の社員の仕事と混ざり合い、平均化されます。そのため、自分が人々の望むものを生み出していることに気づいていない場合さえあります。あなたの貢献は、直接的なものではなく、間接的なものかもしれません。しかし、企業全体としては、人々が求める何かを提供していなければなりません。そうでなければ、お金を稼ぐことはできません。そして、もし会社があなたに年間xドルの給料を支払っているのであれば、平均的には、あなたも少なくとも年間xドル分の価値を生み出しているはずです。そうでなければ、その会社は稼ぐ額よりも多くのお金を支払っていることになり、最終的には事業を継続できなくなってしまうでしょう。
大学を卒業する人は、「就職しなければならない」と考えますし、周囲からもそう言われます。まるで重要なのが、どこかの組織の一員になることであるかのようです。しかし、もっと直接的に言うならば、「人々が求めている何かを提供し始めなければならない」ということになります。そのために、必ずしも会社へ入る必要はありません。会社というものは、結局のところ、人々が求めている何かを実現するために協力して働く人々の集まりにすぎません。重要なのは、その集団に加わることではなく、人々が求めている何かを実際に生み出すことなのです。[6]
ほとんどの人にとって、おそらく最善の選択は、既存の会社へ就職することなのでしょう。
しかし、その時、実際には何が起こっているのかを理解しておくことは大切です。仕事とは、その会社にいる他のすべての人たちと力を合わせながら、人々が求めている何かを提供することを意味しています。言い換えれば、あなたの貢献は会社全体の活動の中に溶け込み、他の社員の貢献と平均化されますが、本質的には「人々が望むものを生み出すこと」に変わりはないのです。
より懸命に働くこと
ところが、その「平均化」が問題になってきます。私は、大企業が抱える最大の問題の一つは、各個人の仕事にどれだけの価値があるのかを正確に評価することの難しさだと考えています。そして、多くの場合、企業はこの問題に真正面から取り組まず、事実上うやむやにしています。大企業では、ある程度真面目に働いていれば、比較的予測可能な給与を受け取ることができます。もちろん、明らかに能力不足であったり怠惰であったりしないことは求められます。しかし、自分の人生のすべてを仕事に捧げることまでは求められていません。
しかし、自分の人生のどれだけを仕事に注ぎ込むかについては、規模の経済が働くことがあります。適切な種類のビジネスにおいては、本気で仕事へ全力を注いだ人は、平均的な社員の10倍、あるいは100倍もの富を生み出すことができるのです。例えば、プログラマーであれば、既存のソフトウェアの保守や更新を淡々と続けるだけではなく、まったく新しいソフトウェアを開発することができます。そして、そのソフトウェアによって新たな収益源を生み出すこともできるのです。
企業というものは、そのような働き方を望む人に報いるようには設計されていません。上司のところへ行って、「これから10倍働きますので、給料も10倍にしてください」と言うことはできません。その理由の一つは、建前としては、あなたはすでに全力で働いていることになっているからです。しかし、より深刻な問題は別にあります。それは、会社にはあなたの仕事が生み出した価値を正確に測定する方法がないということです。
ただし、営業担当者は例外です。彼らについては、どれだけの売上を生み出したのかを比較的簡単に測定することができます。そして通常、その売上の一定割合が報酬として支払われます。そのため、営業担当者がもっと懸命に働きたいと思えば、ただ実際にもっと働けばよいのです。そうすれば、その成果に応じて自動的により多くの報酬を受け取ることができます。
営業職以外にも、大企業が一流の人材を採用できる職種がもう一つあります。それが経営トップのポジションです。そして、その理由も営業職と同じで、その成果を測定できるからです。経営陣は、会社全体の業績に対して責任を負います。一般社員の場合、その成果を正確に測定することは通常難しいため、「真面目に努力すること」以上はあまり求められません。一方で、経営トップは営業担当者と同様に、実際に結果を出さなければなりません。数字を作り出さなければならないのです。会社の業績が悪化した場合、その会社のCEO(Chief Executive Officer)は「私は一生懸命努力しました」と言い訳することはできません。会社の業績が悪ければ、それはCEO自身の成果も悪かったということになるのです。
もし、すべての従業員に対して、このように明確かつ直接的な形で報酬を支払える会社があったとすれば、その会社は非常に大きな成功を収めるでしょう。多くの従業員は、それに見合った報酬が得られるのであれば、もっと懸命に働くはずです。さらに重要なのは、そのような会社には、特に熱心に働きたいと考える人材が集まるということです。その結果として、その会社は競合他社を圧倒することになるでしょう。
残念ながら、企業はすべての従業員に対して営業担当者のような形で報酬を支払うことはできません。営業担当者は基本的に一人で成果を上げますが、ほとんどの従業員の仕事は互いに複雑に絡み合っているからです。例えば、ある会社が消費者向けのガジェット製品を作っているとしましょう。エンジニアたちはさまざまな新機能を備えた信頼性の高い製品を開発します。インダストリアルデザイナーは美しい筐体を設計します。そしてマーケティング担当者は、その製品を「ぜひ手に入れたい製品だ」と人々に思わせます。では、その製品の売上のうち、どれだけが各グループの貢献によるものなのでしょうか。さらに言えば、その会社に「高品質な企業」という評判をもたらした過去の製品開発者たちの貢献は、どれほど含まれているのでしょうか。それらすべての貢献度を正確に切り分ける方法はありません。たとえ消費者一人ひとりの心の中を直接読み取ることができたとしても、それらの要因はすべて混ざり合い、区別できないほど境界が曖昧になっていることが分かるでしょう。
もし、より速く前進したいのであれば、自分の仕事が大勢の人たちの仕事と複雑に絡み合っていることは問題になります。大きな組織の中では、自分自身の成果を個別に測定することができません。そして同時に、それだけではなく、組織の他のメンバーの存在が、あなたの前進する速度を遅くしてしまいます。
測定とレバレッジ
裕福になりたいのであれば、二つの条件がそろった状況に身を置く必要があります。それが「測定(Measurement)」と「レバレッジ(Leverage)」です。まず、自分の成果を測定できる立場にいなければなりません。そうでなければ、より多くの成果を上げても、それに応じてより多くの報酬を得ることはできません。そしてもう一つ必要なのが、レバレッジを持つことです。ここで言うレバレッジとは、自分の下す意思決定や行動が大きな影響を及ぼす状態を意味します。つまり、あなたの判断や仕事の成果が、多くの人や大きな価値に波及するような立場にいる必要があるのです。
測定だけでは十分ではありません。「測定」はできるものの、「レバレッジ」がない仕事の例として、劣悪な労働環境の工場で出来高払いの仕事をする場合が挙げられます。そのような仕事では、あなたの成果は測定され、それに応じて報酬も支払われます。しかし、自分で意思決定できる余地はほとんどありません。あなたに許されている唯一の意思決定は、どれだけ速く働くかということだけです。そして、それによって収入を増やせたとしても、おそらく2倍か3倍程度が限界でしょう。
一方で、「測定」と「レバレッジ」の両方を備えた仕事の例としては、映画の主演俳優が挙げられます。主演俳優の成果は、その映画の興行収入によって測定することができます。さらに、その俳優の演技次第で映画が大成功することもあれば、失敗に終わることもあります。そういう意味で、主演俳優は結果に非常に大きな影響を与えるのです。
CEO(Chief Executive Officer)もまた、「測定」と「レバレッジ」の両方を備えた立場にあります。CEOは測定される立場にあります。なぜなら、会社の業績そのものがCEOの成果として評価されるからです。また、CEOはレバレッジも持っています。というのも、CEOの意思決定によって、会社全体がある方向へ進むのか、それとも別の方向へ進むのかが決まるからです。
私は、自らの努力によって裕福になった人を調べれば、例外なく「測定」と「レバレッジ」の両方を備えた環境にいることが分かると思います。少なくとも、私が思いつく人たちは皆そうです。CEO、映画スター、ヘッジファンド・マネージャー、プロスポーツ選手などです。レバレッジの存在を見分ける良い手掛かりの一つは、「失敗する可能性」があることです。大きな上昇余地(upside)があるなら、それに見合う大きな下降リスク(downside)も存在しなければなりません。つまり、大きな利益を得る可能性があるのであれば、同時に恐ろしいほどの損失を被る可能性もあるはずなのです。CEO、スター、ファンドマネージャー、そしてスポーツ選手たちは皆、頭上に剣がぶら下がった状態で生きています。ひとたび実力を発揮できなくなれば、すぐにその地位を失ってしまいます。もし、あなたの仕事が「安全だ」と感じられるのであれば、その仕事で大きな富を築くことは難しいでしょう。なぜなら、危険が存在しないのであれば、ほぼ間違いなくレバレッジも存在しないからです。
しかし、「測定」と「レバレッジ」を備えた環境に身を置くために、必ずしもCEOや映画スターになる必要はありません。必要なのはただ一つ、難しい問題に取り組む小さなチームの一員になることです。
小規模 = 測定
個々の従業員が生み出した仕事の価値を正確に測定できないとしても、それに近いことは可能です。小さなチームが生み出した仕事の価値であれば、測定することができます。
従業員が生み出した収益を比較的正確に測定できる単位の一つは、会社全体という単位です。そして、会社が小規模であればあるほど、それは個々の従業員の貢献度を測定することにかなり近づきます。例えば、事業として成立しているスタートアップでも、従業員がわずか10人程度ということは珍しくありません。その場合、会社全体の成果を見ることで、個人の貢献度もおおよそ10分の1の誤差範囲まで把握できることになります。
したがって、スタートアップを立ち上げる、あるいはスタートアップに参加することは、多くの人にとって、上司に向かって「私は10倍働きたいので、給料も10倍にしてください」と言うことに最も近い行為だと言えます。ただし、そこには二つの違いがあります。一つ目は、その言葉を上司に向かって言うのではなく、顧客に直接言っているということです(結局のところ、上司とは顧客の代理人にすぎません)。二つ目は、それを一人で行うのではなく、同じように高い志や野心を持った少人数の仲間たちと一緒に行うということです。
そして、そのような挑戦は、通常はチームで行うことになります。俳優や作家のようなごく一部の特殊な仕事を除けば、一人だけで会社を作り、運営することはできません。そして、一緒に働く仲間は優秀であるに越したことはありません。なぜなら、あなたの成果は彼らの成果と平均化されることになるからです。
大企業は、千人の漕ぎ手によって動かされる巨大なガレー船のようなものです。そのガレー船の速度が上がらない理由は二つあります。一つは、個々の漕ぎ手がどれほど一生懸命漕いでも、その成果を自分自身で実感しにくいことです。もう一つは、千人もの集団の中では、平均的な漕ぎ手は文字どおり「平均的な人」になりがちだということです。
もし、その巨大なガレー船から無作為に10人を選び出し、彼らだけで一隻の小舟に乗せたとしたら、おそらくその舟の方が速く進むでしょう。なぜなら、彼らには「アメとムチ」の両方が働くからです。意欲的な漕ぎ手であれば、自分の努力が船の速度に目に見える形で影響を与えられると分かるため、より熱心に漕ごうとするでしょう。一方で、誰かが怠けていれば、他のメンバーはそれに気づきやすくなり、不満を口にする可能性も高くなります。
しかし、10人乗りの舟の本当の強みが発揮されるのは、巨大なガレー船の中から最も優秀な10人の漕ぎ手を選び出し、同じ舟に乗せたときです。彼らは、小さなチームに所属することによって生まれる追加的なモチベーションをすべて得ることができます。しかし、それ以上に重要なのは、そのような小さなチームを選抜することで、最も優秀な漕ぎ手たちだけを集められるという点です。彼らは一人ひとりが上位1%に入るような人材です。そのような人たちにとって、自分の成果を全員と平均化されるよりも、同じレベルの優秀な仲間たちだけで構成された小さなチームの中で平均化される方が、はるかに有利なのです。
それこそが、スタートアップの本質なのです。理想的には、あなたは大企業で働くよりも、はるかに懸命に働き、その分もっと大きな報酬を得たいと考えている人たちとチームを組むことになります。さらに、スタートアップは一般的に、野心を持った人々が自ら集まって設立するものです。彼らはすでにお互いを知っている場合が多く、少なくとも評判くらいは把握しています。そのため、単に人数が少ないというだけでは得られないほど、個々の貢献度をより正確に把握できる環境になります。スタートアップとは、単なる10人の集団ではありません。「あなたのような人が10人集まった集団」なのです。
スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)は、かつて「スタートアップの成功と失敗は最初の10人の社員によって決まる」と語りました。私はその意見に賛成です。むしろ、実際には最初の5人と言った方が近いかもしれません。スタートアップが圧倒的な力を発揮する理由は、単に規模が小さいからではありません。小さな集団だからこそ、優秀な人材だけを選び抜くことができるからです。目指すべき「小ささ」は、村のような小ささではありません。
オールスターチームのような小ささなのです。
集団の規模が大きくなればなるほど、その集団の平均的な構成員は、社会全体の平均的に近づいていきます。したがって、他の条件がすべて同じであるならば、非常に優秀な人が大企業で働くことは、おそらくあまり得な状況ではないかもしれません。なぜなら、その人自身の高い成果は、周囲の人々の平均的な成果によって引き下げられてしまうからです。もちろん、現実には他の条件が同じとは限りません。その優秀な人は、お金にそれほど関心がないかもしれませんし、あるいは大企業の安定性を好むかもしれません。しかし、非常に優秀で、なおかつ経済的な成果を重視する人であれば、通常は大企業に留まるよりも、自分と同じように優秀な少人数の仲間たちと一緒に働くほうが有利でしょう。
テクノロジー = レバレッジ
スタートアップは、誰にでも「測定」と「レバレッジ」の両方を備えた環境に身を置く機会を提供します。スタートアップが「測定」を可能にするのは、その規模が小さいからです。そして、「レバレッジ」を提供できるのは、新しいテクノロジーを発明することで収益を生み出しているからです。
テクノロジーとは何でしょうか。それは「やり方(Technique)」です。つまり、私たちが物事を行う方法そのものが技術なのです。そして、もしあなたが新しいやり方を発見したなら、その価値はそれを利用するすべての人によって何倍にも増幅されます。それは、ことわざで言うところの「魚」ではなく、「釣り竿」のようなものです。ここに、スタートアップとレストランや理髪店との大きな違いがあります。レストランでは卵料理を作るにしても、一度にサービスできるのは一人の顧客だけです。理髪店でも、一度に髪を切れるのは一人の顧客だけです。しかし、多くの人々が抱えている技術的な問題を解決した場合、その解決策を利用するすべての人を助けることができます。それこそがレバレッジなのです。
歴史を振り返ってみると、自ら富を創造することで裕福になった人々の多くは、新しいテクノロジーを開発することによってそれを成し遂げてきたように見えます。卵を焼いたり髪を切ったりするだけでは、十分な速さで富を生み出すことはできません。1200年頃にフィレンツェの人々が豊かになったのは、当時のハイテク製品であったとも言える高品質な織物を製造するための新しい技術を発見したからです。また、1600年頃にオランダ人が豊かになったのは、造船技術や航海技術を発展させ、それによって極東の海域における海上貿易を支配できるようになったからでした。
幸いなことに、「小規模であること」と「難しい問題を解決すること」の間には、自然な相性があります。最先端のテクノロジーは非常に速いスピードで進化しています。今日価値のある技術が、数年後にはまったく価値を失っていることも珍しくありません。小さな企業は、このような世界においてより適応しやすい存在です。なぜなら、彼らには意思決定や行動を遅らせる何層もの官僚的な組織階層が存在しないからです。また、技術的なブレークスルーは、しばしば従来とは異なる発想やアプローチから生まれます。そして小規模な企業は、大企業に比べて慣習や既成概念に縛られにくいのです。
大企業でも技術開発を行うことはできます。ただし、それを迅速に行うことができないだけです。企業規模が大きいために意思決定や行動の速度が遅くなり、また、技術開発に必要な並外れた努力に対して、従業員へ十分な報酬を与えることも難しくなります。そのため現実には、大企業が技術開発を主導できるのは、莫大な資本が必要でスタートアップが競争に参加しにくい分野に限られることが多くなります。例えば、マイクロプロセッサ、発電所、旅客機などの分野です。そして、そのような分野でさえ、大企業はスタートアップが生み出す部品や技術、アイデアに大きく依存しています。
バイオテクノロジーやソフトウェアのスタートアップが、難しい技術的問題を解決するために存在していることは明らかです。しかし私は、一見するとテクノロジーとは関係なさそうなビジネスについても、本質的には同じことが当てはまると考えています。例えば、マクドナルドは、「マクドナルド・フランチャイズ」という仕組みを設計したことで巨大企業へと成長しました。その仕組みは、一度作れば世界中のどこにでも同じ形で再現できるものでした。マクドナルドのフランチャイズは、まるでソフトウェアと言えるほど極めて細かく定められたルールによって管理されています。「一度書けば、どこでも動く(Write once, run everywhere)」のです。同じことはウォルマートにも当てはまります。サム・ウォルトン(Sam Walton)が裕福になったのは、小売業者として優れていたからではありません。彼は、新しいタイプの店舗システムを設計したことによって成功したのです。
困難さを指針として活用するべきなのは、会社全体の最終的な目標を選ぶときだけではありません。事業を進める過程で意思決定を行う場面でも同様です。Viawebでは、「階段を上れ(Run Upstairs)」という経験則がありました。例えば、あなたが小柄で機敏な人で、大柄で太った乱暴者に追いかけられているとします。あるドアを開けると、その先は階段でした。さて、上へ行くべきでしょうか、それとも下へ行くべきでしょうか。私なら上へ行きます。その乱暴者は、おそらく下り階段ならあなたと同じくらい速く走れるでしょう。しかし、上り階段では、その大きな体がより大きなハンディキャップになります。上へ走ることは、あなたにとっても大変です。しかし、彼にとってはさらに大変なのです。
これを実際の経営に置き換えると、私たちは意図的に難しい問を選ぶようにしていました。例えば、私たちのソフトウェアに追加できる機能が二つあり、どちらも難易度に見合った価値を持っているとします。その場合、私たちは必ずより難しい方を選びました。それは、単に難しい方が価値が高いからではありません。難しいからこそ選んでいたのです。私たちは、自分たちより規模が大きく動きの遅い競合他社を、あえて困難な地形へ引きずり込み、そこで私たちを追いかけさせることに喜びを感じていました。ゲリラ部隊が中央政府軍の追撃を受けにくい山岳地帯を好むように、スタートアップもまた、大企業が簡単には追随できない困難な領域を好むのです。一日中、恐ろしく難しい技術的問題と格闘し、心身ともに疲れ果てた日々を私は今でも覚えています。しかし、私はそんな日ほど嬉しく感じていました。なぜなら、自分たちにとって難しいことは、競合他社にとっては不可能である可能性が高いからです。
これは、単にスタートアップをうまく経営するための方法ではありません。そもそも、それこそがスタートアップという存在そのものなのです。ベンチャーキャピタリスト(VC: Venture Capitalist)は、このことをよく理解しており、それを表す言葉が「参入障壁(Barriers to Entry)」です。新しいアイデアを持ってVCのもとを訪れ、投資を依頼すると、彼らが最初に尋ねることの一つは次のような質問です。「この技術を他の誰かが開発するのはどれくらい難しいですか。」言い換えれば、「あなたと、あとから追いかけてくる競合との間に、どれほど困難な道のりを作ることができていますか。」ということです。[7] そして、なぜあなたの技術は簡単には真似できないのかについて、説得力のある説明を用意しておく必要があります。そうでなければ、大企業がその技術の存在に気づいた瞬間、自社で同じものを作り始めるでしょう。しかも、大企業のブランド力、資本力、そして販売・流通ネットワークを武器に、一夜にしてあなたの市場を奪ってしまうかもしれません。それはまるで、開けた平原で正規軍に捕らえられてしまったゲリラ部隊のようなものです。
参入障壁を築く方法の一つに、特許があります。しかし、特許が十分な防御を与えてくれるとは限りません。競合他社は、多くの場合、特許を回避する方法を見つけ出します。仮にそれができなかったとしても、単に特許を侵害し、あなたが訴訟を起こしてくるのを待つだけかもしれません。大企業は訴えられることを恐れません。彼らにとって、訴訟は日常業務の一つにすぎないからです。そして彼らは、訴訟に莫大な費用と長い時間がかかるように仕向けます。フィロ・ファーンズワース(Philo Farnsworth)という人物をご存じでしょうか。彼はテレビを発明した人物です。それでも、あなたが彼の名前を聞いたことがない理由は、彼の会社がその発明によって利益を得た会社ではなかったからです。[8] 実際にその利益を手にしたのは RCA(Radio Corporation of America)でした。そして、ファーンズワースがその発明の対価として得たものは、10年にも及ぶ特許訴訟だったのです。
ここでも、よく言われるように、攻撃は最大の防御です。競合他社が簡単には真似できないほど難しい技術を開発できれば、他の防御策に頼る必要はありません。まずは難しい問題を選ぶことです。そして、その後のあらゆる意思決定の場面で、より難しい選択肢を続けるのです。[9]
落とし穴
もし、普通の会社員よりも一生懸命働き、その努力に見合った報酬を受け取るだけの話であれば、スタートアップを始めることは間違いなく魅力的な選択でしょう。ある程度までは、その方が仕事自体もずっと楽しいはずです。大企業特有のゆっくりとした仕事の進み方や、終わりの見えない会議、給湯室での雑談、現場をよく理解していない中間管理職などを好む人は、あまり多くないと思います。
残念ながら、そこにはいくつかの落とし穴があります。その一つは、自分がどの負荷で働くかを自分で選ぶことはできないということです。例えば、普通の人の2倍か3倍だけ働いて、その分だけ多く報酬をもらいたいといった都合のよい選択はできません。スタートアップを経営すると、あなたがどれだけ働くかを決めるのは、あなた自身ではなく競合他社です。そして、競合他社はほぼ例外なく、同じ結論を選びます。できる限り限界まで働くこと。
もう一つの落とし穴は、得られる報酬が、自分の生産性に必ずしも比例するわけではないということです。先ほども述べたように、どんな会社の成功にも、非常に大きな「運」の要素が存在します。そのため、現実には「生産性が30倍になれば、報酬も30倍になる」という話ではありません。実際には、生産性は30倍でありながら、報酬はゼロ倍から1,000倍まで大きくばらつくのです。平均値(mean)が30倍だったとしても、中央値(median)はおそらくゼロでしょう。ほとんどのスタートアップは失敗します。それは、インターネット・バブルの時代に話題になった、いわゆる「ドッグフード専門ポータルサイト」のような会社だけではありません。本当に優れた製品を開発していたスタートアップであっても、完成までにほんの少し時間がかかり過ぎたために資金が尽き、事業を継続できずに倒産してしまうことは、ごく普通に起こるのです。
スタートアップは、蚊のような存在です。クマは攻撃を受けても耐えることができますし、カニは硬い甲羅によって身を守ることができます。しかし、蚊は違います。蚊は、ただ一つの目的「刺して吸血すること」のためだけに進化してきました。防御にエネルギーを費やすことは一切ありません。蚊という種全体として見れば、蚊の防御とは「とにかく数が多いこと」です。たくさんいるからこそ種としては生き残れるのです。しかし、それは一匹一匹の蚊にとっては、ほとんど慰めにはなりません。
スタートアップも蚊と同じように、「すべてを手にするか、すべてを失うか(all-or-nothing)」になりやすい性質を持っています。しかも、そのどちらの結末を迎えるのかは、たいてい最後の最後まで分かりません。Viawebも、何度も倒産寸前まで追い込まれました。私たちの成長の軌跡は、まるでサインカーブ(正弦波)のように、大きく浮き沈みを繰り返していました。幸運なことに、私たちはちょうどその波の頂点にいるタイミングで買収されました。しかし、本当に紙一重の差だったのです。会社を売却するために、Yahooのあるカリフォルニア州を訪れて交渉していた最中のことです。私たちは、新たな資金調達ラウンドから撤退しようとしていた投資家を引き留めるため、会議室を借りて「この会社は生き残る必要がある」と必死に説得しなければなりませんでした。
スタートアップが「すべてを手にするか、すべてを失うか」という性質を持っていることは、私たちが望んでいたことではありませんでした。Viawebのハッカー(エンジニア)たちは皆、とてもリスク回避的な人間でした。もし、宝くじのような運任せの要素を一切含まず、ただひたすら懸命に働き、その努力に見合った報酬を得られる方法があったなら、私たちは喜んでそれを選んでいたでしょう。理論的には、「20%の確率で1,000万ドルを得る」方が期待値は2倍高くなります。それでも私たちは、「100%の確率で100万ドルを得る」方を、はるかに望んでいました。残念ながら、現在のビジネスの世界には、その前者のような条件を選べる場所は存在しないのです。
そのような理想に最も近い方法は、スタートアップをまだ初期の段階で売却することです。そうすれば、将来さらに大きな利益を得る可能性(upside)と、それに伴うリスクを手放す代わりに、金額は小さくても確実な利益を手にすることができます。私たちにも、そのような機会が一度ありました。ところが、その当時の私たちは愚かにも、その機会を逃してしまったと考えていました。その出来事以来、私たちは自分たちでも滑稽なくらい会社を売りたがるようになりました。その後およそ1年間は、Viawebに少しでも興味を示す人が現れれば、誰に対してでも会社を売ろうとしていました。しかし、買い手は誰一人現れませんでした。そのため、私たちは事業を続けるしかなかったのです。
もし誰かが私たちの会社を初期段階で買収していれば、それは買い手にとって非常に割安な買い物になっていたでしょう。しかし、企業買収を行う会社は、割安な案件を探しているわけではありません。スタートアップを買収できるほど大きな企業は、それだけ保守的な企業でもあります。そして、その中でも買収を担当する人たちは、特に保守的な人たちであることが多いのです。なぜなら、彼らの多くは経営学を学んだビジネススクール出身者で、途中から会社に入社したタイプの人たちだからです。彼らは、リスクの高い安い案件を選ぶよりも、安全性が高い案件に対して高い金額を支払うことを好みます。そのため、まだ創業間もないスタートアップよりも、たとえ高いプレミアム(割増価格)を支払うことになったとしても、すでに事業として一定の実績を築いたスタートアップの方が売却しやすいのです。
ユーザーを獲得せよ
私は、できるのであれば、会社を買収してもらうことは良い選択だと考えています。会社を成長させることと、成長した会社を経営し続けることは、まったく別の仕事だからです。会社が安定して巡航高度に達したなら、その後は大企業に引き継いでもらうほうが合理的な場合もあります。資産運用という観点から見ても、そのほうが賢明です。会社を売却すれば、資産を分散できるからです。では、もしあなたの資産運用アドバイザーが、顧客の全財産を値動きの激しい一つの銘柄だけに投資していたら、あなたはその人をどう思うでしょうか。
では、どうすれば会社を買収してもらえるのでしょうか。その答えは、多くの場合、会社を売るつもりがなかったとしても行うべきことを、そのまま実行することです。例えば、しっかりと利益を出せる会社にすることです。しかし、会社を買収してもらうこと自体にも、独自の技術(アート)があります。そして私たちは、その技術を身につけるために多くの時間を費やしました。
買収を検討している企業は、可能であれば、たいてい意思決定を先延ばしにします。会社を買収してもらう上で最も難しいのは、相手に実際に行動を起こさせることです。多くの人にとって、最も強力な動機となるのは、利益を得たいという期待ではなく、失うことへの恐れです。買収を検討している企業にとって最も強力な動機は、競合他社にあなたの会社を買収されてしまうかもしれないという可能性です。私たちの経験では、この状況になるとCEO(Chief Executive Officer)は夜行便(red-eye
flight)に飛び乗ってでも会いに来るようになります。その次に大きな動機となるのは、「今買収しなければ、その会社は今後も急成長を続け、将来はもっと高い金額でしか買収できなくなるかもしれない。あるいは、自社の競合企業になってしまうかもしれない。」という不安です。
どちらの場合も、結局すべては「ユーザー」に行き着きます。買収を検討している企業であれば、あなたの技術について徹底的に調査し、その価値を自ら判断するだろうと思うかもしれません。しかし、実際はまったくそうではありません。彼らが最も重視するのは、あなたがどれだけのユーザーを獲得しているかということです。
買収企業は、実質的に「どの技術が最も優れているかは、顧客がすでに判断している」と考えています。そして、この考え方は、一見すると単純に思えるかもしれませんが、それほど的外れではありません。ユーザーこそが、あなたが本当に富(価値)を創造したことを証明する唯一の確かな証拠だからです。富(価値)とは、人々が欲しいと願うものです。もし人々があなたのソフトウェアを使っていないのであれば、その理由は単にマーケティングが下手だからではないのかもしれません。もしかすると、人々が本当に求めているものを、まだ作れていないからなのかもしれません。
ベンチャーキャピタリスト(VC)は、投資先を見極める際に警戒すべき危険な兆候のリストを持っています。その中でも上位に挙げられるのが、ユーザーを満足させることよりも、技術者自身が興味を持つ技術的な問題を解くことに夢中になっている、いわゆる「テクノロジー・オタク(techno-weenies)」が経営する会社です。スタートアップでは、単に問題を解決すればよいというわけではありません。ユーザーが本当に解決してほしいと考えている問題を解決しようとすることが重要なのです。
だから私は、買収企業と同じように、「ユーザー」を判断基準にすべきだと考えます。スタートアップを、ユーザー数を成果指標として最適化していく問題として捉えてください。ソフトウェアの最適化に取り組んだことがある人なら誰でも知っているように、最適化で最も重要なのは測定です。プログラムのどこが遅いのか、そして何を改善すれば速くなるのかを推測しようとしても、その予想はほとんどの場合、外れてしまいます。
ユーザー数は、完璧な指標ではないかもしれません。しかし、それに限りなく近い指標であることは間違いありません。買収企業が重視するのもユーザー数です。売上もユーザー数に左右されます。競合他社を脅かすのもユーザー数です。そして、記者や将来のユーザーに強い印象を与えるのも、やはりユーザー数です。少なくとも、どんなに優れた技術力を持っていたとしても、「どの問題を解決することが重要なのか」という自分自身の先入観や思い込みを判断基準にするより、ユーザー数のほうがはるかに優れた指標なのです。
また、スタートアップを「最適化の問題」として捉えることには、もう一つ大きな利点があります。それは、ベンチャーキャピタリスト(VC)がもっとも懸念する落とし穴の一つである、「製品開発に時間をかけすぎてしまうこと」を避けられるという点です。これは、エンジニア(ハッカー)の世界で昔から避けるべき「時期尚早な最適化(Premature Optimization)」と同じ問題だと考えれば分かりやすいでしょう。まずは、できるだけ早くバージョン1.0を世に送り出してください。実際にユーザーを獲得し、その反応を測定できるようになるまでは、あなたが行っている最適化は、すべて推測に基づいたものに過ぎないのです。
ここで常に意識しておくべきなのは、「価値(富)とは、人々が求めるものである」という根本原則です。もし価値(富)を創造することで豊かになりたいのであれば、まず人々が何を求めているのかを理解しなければなりません。しかし実際には、顧客を本当に満足させることに真剣に取り組んでいる企業は、驚くほど少ないのです。あなたは、店に入るときや企業に電話をかけるとき、「また面倒なことになりそうだ」という不安を感じたことが、どれほどあるでしょうか。電話で「お電話ありがとうございます。お客様のお電話は弊社に取って大変重要ですので、このままお待ちください。」という案内を聞いて、「よかった、これでもう安心だ」と思うことはあるでしょうか。
レストランであれば、たまに料理を焦がしてしまっても、それで店が成り立たなくなることはありません。しかし、テクノロジーの世界では、一度作ったものが、そのまますべてのユーザーが利用することになります。そのため、人々が本当に求めているものと、あなたが実際に提供するものとの間に少しでも差があれば、その影響は何倍にも大きくなってしまいます。顧客を満足させるのも、一斉に不満を抱かせるのも、すべて同時に起こるのです。そして、人々が求めているものに近づけば近づくほど、より大きな価値(富)を生み出すことになります。
富と権力
富(価値)を生み出すことだけが、豊かになる唯一の方法ではありません。むしろ、人類の歴史の大半において、それは最も一般的な方法ですらありませんでした。ほんの数世紀前まで、富の主な源泉は、鉱山、奴隷や農奴、土地、そして家畜でした。そして、それらを短期間で手に入れる方法は、相続、婚姻、征服、あるいは没収くらいしかありませんでした。そのような歴史的背景から、富そのものには当然あまり良いイメージがありませんでした。
その後、二つの大きな変化が起こりました。一つ目は、「法の支配」が確立されたことです。世界の歴史の大半では、たとえ苦労して財産を築いたとしても、支配者やその手下たちが何らかの理由をつけて、それを奪ってしまうのが当たり前でした。ところが、中世ヨーロッパでは新しい変化が起こります。商人や製造業者という新しい階層の人々が町に集まり始めたのです。[10]彼らは力を合わせることで、地域を支配していた封建領主に対抗できるようになりました。こうして、人類の歴史上初めて、「いじめっ子がオタクから昼食代を巻き上げる」というようなことが通用しなくなったのです。これは当然、人々にとって非常に大きな励みとなり、そして、おそらくこれこそが、二つ目の大きな変化である「産業革命」を引き起こした最大の要因でもあったのでしょう。
産業革命の原因については、これまで実に多くのことが論じられてきました。しかし、財産を築いた人々が、その富を奪われる心配なく平穏に享受できることは、十分条件ではなかったとしても、少なくとも必要条件だったはずです。[11]その証拠の一つが、ソビエト連邦(Soviet Union)のように旧来の体制へ戻ろうとした国々や、程度の差こそあれ、1960年代から1970年代初頭にかけて労働党政権下にあったイギリス(Britain) にも、同じような傾向が見られました。富を得られるという動機を奪えば、技術革新はたちまち停滞してしまうのです。
スタートアップとは、経済的に言えば何なのかを思い出してください。それは、「私はもっと速いペースで働きたい」という意思表示の一つなのです。50年間、毎月決まった給料をもらいながら少しずつ資産を築くのではなく、できるだけ短期間でそれを成し遂げたい、という考え方です。したがって、人々が富を築くことを認めない政府は、実質的には「ゆっくり働きなさい」と命じているのと同じことになります。50年間かけて300万ドルを稼ぐことは認めても、2年間で同じ300万ドルを稼げるほど懸命に働くことは認めないのです。それはまるで、「私は10倍働くので、給料も10倍にしてください」と会社の上司に向かって言えないのと同じです。ただ一つ違うのは、その会社の上司であれば自分で会社を立ち上げることで逃れることができますが、政府からはそのようにして逃れることはできない、という点です。
ゆっくり働くことの問題は、技術革新のスピードが遅くなることだけではありません。もっと大きな問題は、技術革新そのものが、ほとんど起こらなくなってしまうことです。本当に難しい課題にあえて挑戦するのは、「スピードという武器を最大限に生かしたい」と考えている人たちだけです。新しい技術を開発することは、本当に骨の折れる仕事です。エジソン(Edison)が言ったように、「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」のです。富を得られるというインセンティブがなければ、そんな苦労を進んで引き受けようとする人はいません。技術者は、戦闘機や月ロケットのような華やかなプロジェクトであれば、通常の給与でも喜んで取り組むでしょう。しかし、電球や半導体のような、一見地味ではあるものの社会に欠かせない技術は、起業家によってこそ開発されなければならないのです。
スタートアップは、この数十年間にシリコンバレー(Silicon Valley)で突然生まれた特別な存在ではありません。人々が価値(富)を創り出すことによって豊かになれるようになって以来、その方法で成功した人たちは、時代を超えて本質的に同じやり方を実践してきました。それが「測定とレバレッジ(てこの力)」を活用するという方法です。ここでいう「測定」とは、少人数で仕事に取り組むことから生まれ、「レバレッジ」とは、新しい技術や手法を生み出すことによって得られます。そのレシピは、1200年頃のフィレンツェ(Florence)でも、今日のサンタクララ(Santa Clara)でも、その成功の方程式は本質的に変わっていないのです。
この点を理解すれば、ある重要な問いに答える手がかりが得られるかもしれません。なぜヨーロッパ(Europe)は、あれほど強大になったのでしょうか。それは、ヨーロッパの地理的条件に何か特別な要因があったからでしょうか。あるいは、ヨーロッパ人が人種的に何らかの点で優れていたからでしょうか。それとも、彼らの宗教によるものだったのでしょうか。その答え、あるいは少なくとも直接的な原因は、ヨーロッパ人がある強力な新しい考え方の波に乗ったことにあるのかもしれません。それは、「大きな富を生み出した人が、その富を自分のものとして保持することを認める」という考え方です。
ひとたびそれが認められるようになれば、豊かになりたい人々は、他人から奪うのではなく、新たな富を生み出すことで豊かになれるようになります。その結果として生まれる技術の発展は、富をもたらすだけでなく、軍事力の向上にもつながります。ステルス戦闘機(Stealth aircraft)につながる理論そのものは、ソビエト連邦の数学者によって考案されました。しかし、ソビエト連邦にはコンピュータ産業が十分に発達していなかったため、その理論は理論のままにとどまりました。実際の航空機を設計するために必要な膨大な計算を高速で処理できるだけの計算機が存在しなかったのです。
その意味では、冷戦(Cold War)は第二次世界大戦(World War II)、そして近代のほとんどの戦争と同じ教訓を私たちに教えています。戦士や政治家からなる支配階級が、起業家たちを押さえつけることを許してはならない、ということです。個人を豊かにするのと同じ仕組みが、国家を強くするのです。オタクたちから昼食代を巻き上げるのをやめて、彼らが自分の昼食代を手元に残せるようにすれば、その国は世界をリードことになるでしょう。
Notes、注釈、주석
[1] スタートアップでのみ得られやすい価値の一つに、「中断されない環境」があります。仕事にはそれぞれ異なる時間単位があります。たとえば、原稿の校正をしている人であれば、15分ごとに中断されたとしても、生産性への影響はそれほど大きくないかもしれません。しかし、ハッキング(プログラミング)の場合、その時間単位は非常に長くなります。問題を頭の中に読み込むだけで1時間かかることもあります。そのため、人事部から「記入し忘れている書類について」の電話がかかってくるだけでも、そのコストは非常に大きなものになり得るのです。だからこそ、ハッカーたちが画面から顔を上げて質問に答える際に、あのような険しい視線を向ける理由です。彼らの頭の中では、巨大なトランプカードの家が今にも崩れ落ちそうになっているのです。ハッカーたちは、単に「中断されるかもしれない」という可能性があるだけでも、難しいプロジェクトに取り組むこと自体をためらってしまいます。これが、彼らが深夜に作業する傾向がある理由であり、また、キュービクル環境では優れたソフトウェアを書くことがほとんど不可能である理由です(深夜を除けば、ですが)。スタートアップの大きな利点の一つは、まだ「あなたの作業を中断する人たち」が存在していないことです。人事部も存在しませんし、そのため、提出書類もなければ、その件で電話をかけてくる人もいないのです。
[2] スタートアップで働く人たちが、大企業で働く人たちより20倍、あるいは30倍もの生産性を持つ可能性があるという考えに直面すると、大企業の経営者たちは当然、「どうすれば自社の社員にも同じように働いてもらえるのか」と考えるでしょう。答えはシンプルです。その成果に見合う対価を支払えばよいのです。多くの企業は、内部的にはまるで共産主義国家のように運営されています。もし自由市場を信じているのであれば、なぜ自社を自由市場のように運営しないのでしょうか。
仮説:企業は、各従業員が自ら生み出した価値に比例した報酬を受け取るとき、最大の利益を生み出す。
[3] つい最近まで、政府ですらお金と富の違いを正しく理解していないことがありました。アダム・スミス(Adam Smith)は『国富論(The Wealth of Nations)』第5編第1章(v:i)の中で、自国の「富」を守ろうとして、金や銀の国外流出を禁止した国家について言及しています。しかし、交換手段である貨幣を多く保有したところで、国が豊かになるわけではありません。同じ量の実体的な富に対して、より多くのお金が流通するようになれば、結果として起こるのは物価上昇だけなのです。
[4] 「富(wealth)」という言葉にはさまざまな意味があり、そのすべてが物質的なものとは限りません。ここで私が述べようとしているのは、「本当の富とは何か」という哲学的な議論ではありません。私が書いているのは、「富」という言葉の中でも、ある特定の、やや技術的な意味についてです。つまり、「人々がお金を払ってでも手に入れたいと思うもの」のことです。
これは研究対象として非常に興味深い種類の富です。なぜなら、それこそが実際にあなたを飢えから救ってくれる種類の富だからです。そして、人々が何に対してお金を払うかは、あなた自身ではなく、相手によって決まります。
事業を始める際、人は「顧客も自分と同じものを欲しがるはずだ」と考えてしまいがちです。インターネット・バブル期に、私はアウトドアが好きだという理由で「アウトドア・ポータル」を始めようとしている女性に会ったことがあります。では、アウトドアが好きな人が本当に始めるべき事業は何でしょうか。それは、クラッシュしたハードディスクからデータを復旧する事業です。
その二つにどんな関係があるのでしょうか。まったくありません。まさにそれが私の言いたいことなのです。もし富を創造したいのであれば(ここで言うのは「飢えずに生きるため」という狭義かつ技術的な意味ですが)、自分が「好きなこと」を中心に据えた計画については、特に慎重になるべきです。なぜなら、そのような領域こそ、自分の考える「価値」と、他人が感じる「価値」が最も一致しにくい領域だからです。
[5] 一般的な車の修復においては、環境にわずかな負荷を与えることで、結果的に他の人々をほんの少しだけ貧しくしている可能性があると言えるかもしれません。もちろん、環境コストは考慮されるべきです。しかし、それによって富の創造がゼロサムゲームになるわけではありません。例えば、ネジが外れたことによって壊れていた機械を修理した場合、環境に追加的な負荷をほとんど与えることなく、富を創造することができます。
*ゼロサムゲーム(Zero-sum
game)とは、参加者全員の利益と損失の合計(総和)が常に「ゼロ」になる状況を指す経済学やゲーム理論の用語です。つまり、勝者と敗者があるゲーム。
[5b] このエッセイは、Firefoxが登場する前に書かれたものです。
[6] 多くの人が20代前半に戸惑いや憂うつさを感じます。大学時代の方が、人生はずっと楽しかったように思えるからです。しかし、それは当然のことです。表面的な類似点に惑わされてはいけません。あなたは「客」の立場から「働く側」の立場へ移ったのです。もちろん、この新しい世界でも楽しむことは可能です。例えば、今では、「関係者以外立入禁止」と書かれた扉の向こう側へ入れるようになります。しかし、その変化は最初のうちは大きな衝撃として感じられます。そして、その変化を自覚していなければ、その衝撃はなおさら大きなものになるでしょう。
[7] VC(ベンチャーキャピタリスト)から、「他のスタートアップが私たちのソフトウェアを複製するには、どれくらい時間がかかると思いますか」と尋ねられると、私たちはいつも、「おそらく、まったく複製できないでしょう」と答えていました。今にして思えば、その答えは私たちを世間知らずか、あるいは嘘つきのように見えてしまっていたのだと思います。
[8] 実際には、一つの技術に、たった一人の明確な発明者がいることはほとんどありません。したがって、一般的には、あるものの「発明者」を私たちが知っているとすれば(電話、組立ライン、飛行機、電球、トランジスタなど)、それはその発明者の会社がその技術によって利益を上げ、さらにその会社の広報(PR)担当者が、その物語を世の中に広めるために熱心に活動したからです。逆に、ある技術の発明者を私たちが知らないとすれば(自動車、テレビ、コンピューター、ジェットエンジン、レーザーなど)、それはその技術によって別の会社が利益のほとんどを手にしたからです。
[9] この考え方は、人生全般にも当てはまる良い指針です。もし二つの選択肢があるなら、より困難な方を選びなさい。例えば、ランニングに出かけるべきか、それとも家でテレビを見るべきか迷ったら、ランニングに行くべきです。この考え方がこれほど効果的なのは、おそらく、二つの選択肢のうち一方がより困難であるにもかかわらず、もう一方を検討している唯一の理由が「怠け心」に過ぎないからです。本当は、心の奥底では何が正しい選択なのかをすでに分かっています。この方法は、その事実を自分自身に認めさせるためのきっかけにすぎないのです。
[10]中産階級が最初に誕生したのが、強力な中央政府が存在しなかった北イタリアとネーデルラント地方(Low Countries)であったことは、おそらく偶然ではありません。当時、この二つの地域は世界で最も豊かな土地であり、やがてルネサンス文化がそこからヨーロッパ各地へ広がっていく二大中心地となりました。現在ではそのような役割を担っていないとしても、アメリカ合衆国(United States)のような他の地域が、彼らが見いだした原則をより忠実に受け継いだからにほかなりません。
[11]実際には、それだけで十分条件だったのかもしれません。しかし、もしそうであるなら、なぜ産業革命はもっと早く起こらなかったのでしょうか。考えられる答えは二つあります。そして、この二つは互いに矛盾するものではありません。
(a) 実は、もっと早い段階から始まっていたという考え方です。産業革命とは、一度限りの出来事ではなく、連続して起こった一連の変革の一つだったということです。
(b) もう一つは、中世の都市では、独占やギルド(同業組合)の規制が、新しい生産手段の発展を当初は妨げていたという考え方です。
<特記事項>
1.原文(当該の言語)をベースに、英語、日本語、韓国語へと翻訳を行っております。
2.配列の順番は、原文(当該の言語)を主としているため、その都度、順序は変わります。
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次回の更新は2026年8月16日(日)に予定されています。どうぞお楽しみに!
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